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2009年11月の記事

2009年11月29日 (日)

突然の「続きを読む」に慌てました

先日、これまでの記事がいきなり途中で切れて、「続きを読む」をクリックするように変わっていました。

自分では何も操作をした覚えはないのに、どうしてこんなことになったのだろうと慌てました。

出だしのわずかな文で読ませるほど、引き締まった文章は書いていません。自分としては全体を見せたいのに、どうしてこうなってしまったのか。

調べてみると、「続きを読む」という設定にしたいという要望が多かったために、デフォルトでそういう表示になるように変更されたようです。

そこで、今まで通りのように表示されるよう、設定を変えました。

ネタバレの文を隠したいときなどは便利かも知れませんが、今のところ、「続きを読む」は使いません。

私にとって有り難くない設定が、多くの人から要望されるとは、人の趣味はそれぞれですね。

2009年11月24日 (火)

河合二湖・著『バターサンドの夜』読了

河合二湖さんの『バターサンドの夜』を読み終えました。このページの左の本棚に、新しく置いてあります。(『園芸少年』の隣)

この人、この作品が第1作なんですね。驚きました。とても安定感があって、惹きつける展開で、よく考えられた構成だけれども「作った」という感じはしなくて。

新人だと知って読み始めたのに、そうではないような錯覚を起こしてしまいました。もちろん、出版された作品としての第1作であって、それまでにかなり書き込んでいるのでしょうけれど。

作中アニメの『氷上のテーゼ』って、もしかしたら、河合さんが過去に書こうとした作品でしょうか。

とても心地よい読後感でした。

2009年11月23日 (月)

廣田衣世・作『蓮の奥出雲戦記 ヤマタノオロチ復活』

気になる題名の本を見つけて読んでみました。『蓮の奥出雲戦記 ヤマタノオロチ復活』、岩崎書店から9月に出版された本です。

『草薙列伝・八岐の大蛇』の作者としては、これが気にならないはずはありません。

『ヤマタノオロチ復活』とは、あの八岐の大蛇のことか。またオロチを一方的に悪者扱いしてるのかな。作者は島根県出身。ああ、本場の人だ。こっちはよそ者だ……等々。読み始めるまで思いはいろいろ。

読んでみると、さすがに地元出身。土地勘があって、地元ならではの固有名詞や歴史のプチ情報がどんどん出てきます。自分こそよそ者なのに、取材の時を思い出して「なつかしい」という気分になりました。

世に多い「ヤマタノオロチもの」と違って、土地に密着した古代神としての大蛇を描こうとした作品だと感じました。

余計な好奇心ですが、この作者は和木浩子の『草薙列伝・八岐の大蛇』を読んだことがあるのかな、ということが気になってます。島根県出身の人なら、他県の人よりは興味を感じて、出版された当時、読んでみたかも知れない。でも、そんな本は存在も知らなかったと言うかも知れません。当時の中学生の年代なら、島根県限定の読書感想文課題図書になってましたので題名くらい聞いているだろうけど、この人はそれよりだいぶ年上のようですから。

2009年11月21日 (土)

「物語工房」のピンチ

「物語工房」の日記コーナーとして、ブログを開設してから1か月以上が立ちました。

その間、母屋のほうはほとんど顧みず、新しく始めたブログのほうも、それほど熱心に更新するわけでもなく、日が過ぎていきました。

ふと思いついて検索エンジンから「物語工房」を検索してみると、なんと順位がドーンと落ちていました。これまでは、だいたい1ページ目の3位くらいにはあったのに、ヤフーやインシフォークでは2ページ目、とくにインシフォークなど2ページ目も最後尾につけていました。

グーのほうはまだましで、1ページ目に残留していましたが、それでも低くなっています。

これまでは「日誌」の更新があったから、活発に更新されているサイトとして評価されていたのでしょうが、別のアドレスであるブログを更新しても、母屋の「物語工房」の評価にはつながらないということでしょう。

そもそも、この「鉛筆を握りしめて本棚を探検」にしても、作るまでが熱心で、作ってしまうと「これで気が済んだ」と言わんばかりの状態になってしまいました。

これでは見に来てくださるお客さんに申し訳ないというものです。もうちょっとサービス精神を発揮しなくては、と反省したところです。

2009年11月17日 (火)

100歳の現役詩人まど・みちお

ほんとうは昨日の記事にしたほうが良かった話題なのですが、11月16日は「ぞうさん」などの童謡で知られる、まど・みちおさんの100歳の誕生日でした。

今朝の新聞記事によると、今月中にまどさんの新しい詩集が2冊出るのだそうです。なんとも精力的な活動ぶりで、驚かされます。100歳で次々と詩を書けるとは。

山口県出身の方なので、地元周南市でのイベントの情報も、ローカルニュースを通じて聞こえてきます。

同じ山口県出身の文学者である宇野千代も98歳(99歳になる年)までご存命でした。没年の翌年に生誕100年祭などをやっていましたっけ。

まど・みちおさんは現役詩人として活動されているので、ずいぶん長生きされているということすら、忘れてしまいそうです。

一方で、同じ県内出身者には、金子みすゞや中原中也のような短命の詩人もいます。両極端ですね。

2009年11月12日 (木)

以前は、かつて書き手であった人が書かなくなる、ということが信じられませんでした。

生きている限り、書き手はどこまでも書き手であって、レベルが高くても低くても、一度書くことに自分の生きる意味を認めた人間が、書かずに息をしていられるものかと、確信を持って言い切ることができました。

ところが、ここ2年数か月、私は一行も書いていません。もちろん、ごらんのとおり、こういう文章は書いていますし、実用的な文章も書いています。

けれども、本来私が書くはずだった「物語」を一切書かなくなりました。初めは、書くに書けなくなり、それから後は書きたい気持ちが自然に沸き起こらなくなりました。自分の心にこんなことが起きるとは、ほんの3年前まで、思いもよりませんでした。

最近になって、上橋菜穂子さんの作品を読み返し、「私はもう書かなくてもいいんじゃないかな」と思い始めました。私が書きたいと思うものは、私よりもはるかにみごとに、上橋さんが書いてくれる。上橋菜穂子がいれば和木浩子はいらない。私がこの世に付け加えるべきものは何もない、と。

どんなに活躍されている方でも、その人の作品が自分の目指す方向と違うならば、その人に成り代わりたいとは思いません。ただ、読者としてその作品を楽しむだけです。けれども、上橋菜穂子さんの作品は、常に私自身が書きたいと思うような種類のものでした。

これから残りの人生は上橋さんの作品の宣伝をして生きていこうかと、30%くらい本気で(「半分」などと言わないところがリアルなんですが)考えました。

ところが、数日前の夜、自分自身の物語を書こうとしている夢を見ました。それがどんな作品だったのかは覚えていませんが、私が「書く」という行為をすると、その内容が実物の映像になって目の前で展開されていました。

そろそろ書きたいと思っているのでしょうか。心の底で。

2009年11月 7日 (土)

元気に山口到着

昨日は遠来のお客があって、運転手を務めてきました。

母の兄妹がひさしぶりに集まって、伯父の誕生祝いをかねた会食をしてきたようです。

私も叔母たちと数年ぶり、十数年ぶりに再会しました。

二人ともあんまり変わっていなくて、長旅をしてきたのに元気そうで、私が一番年を取ったみたいでした。

全国各地に住んでいる60代、70代のきょうだいが一堂に会するのは、そうそう簡単にはできないことです。

我が妹も東北に住んでいて、この先もたぶんずっと東日本なので、数年に一度顔を合わせるくらいです。

それでも二人だけだから、その気になれば「一堂に会する」のはそう難しくないでしょう。

2009年11月 1日 (日)

『獣の奏者』読みました。

とうとう、『獣の奏者』を最後まで読み終えました。

読み終えてよかったような、ここまでたどり着きたくなかったような……。

ただただ圧倒されて、今はまだ小賢しく感想を述べる心境ではありません。

作者が作品世界を完全に統治していて箱庭のように美しい作品、というのもありますが、上橋菜穂子さんの作品は、作者自身が制御できるかできないか分からないまま挑み、辺境の大自然のように荒々しく前人未踏の結末へと、読者とともに作者自身も導かれていくような作風だと思います。

だからこそ、完璧にまとまった作品にはならない、作者自身にも読み直したときに「発見」がある、生きた作品になるのでしょう。

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