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2011年6月24日 (金)

文学の文章、ブログの文章

ブログに書いたことというのは、タイトルや一行目に近い部分が重視されて、最後にどんでん返しで本音を吐露するという書き方では、ほんとうに伝えたいことが(少なくともポータルサイトの検索では)伝わらないのですね。

一応、そうらしいとは聞いていたけれど、使ってみて実感します。前置きは不要。前段にエピソードを持ってきて、実は……という書き方ではだめなのだと。

新聞の文章と同じで、見出し、小見出し、1行目という順番。最後の方は切られてもかまわないようなことを付け加える。検索エンジンに見つけてもらおうと思ったら、こういう書き方をしないといけないのだと。

今は文章を書くのが仕事でない人でも、気軽に書いて発表する環境に恵まれていますが、その文章のスタイルは文章の一つの書き方に過ぎず、そうでない書き方を廃れさせてはいけないと、そんな思いに駆られています。

ブログやツイッターでどれだけ発信しても、その分野で適した表現の能力は磨かれるかもしれないけれども、たとえば文学に適した文章を上達させることには成らないし、むしろ変な癖を付けることになるかもしれません。

だからといって、ネット上で表現することを否定しているわけではなく、違う分野の表現方法だと言うことを意識した方がいいと思うのです。

ソーシャルメディアについての啓発書などには、SEO対策を意識した文章の書き方が推奨され、これから日本人がみなこういう文章を目指して書くことに慣れてしまったら、文学の文章はどうなるのだろう、と大げさかもしれないけれど、不安を感じてしまいました。

検索エンジンのためにはキーワードを別に指定しておくとして、何が重要な点であるかというのは、人間の(または人間に似た高度なロボットの)感性で読み取って、検索に反映して欲しいと思うのですが。そういうシステムはできないものでしょうか。

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