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2011年7月の記事

2011年7月30日 (土)

書き始めるまでの「滴」

酷暑の日々が続いていますが、パソコンとプリンタに労働をさせ、私は涼しい(といっても日当たりが悪いだけで冷房が効いているわけではない)部屋で、先にコピーした資料を読んで過ごしました。

一行も書いていないけど、自分の内側には書くべきものが少しずつ湧いてきている、とそんな感じがしています。

純粋に楽しんで書いていた子どものころは、いつも鉛筆を握るより先に、頭の中にイメージがいっぱいにふくらんでいました。それがなまじ功名心が頭をもたげるようになって、うまく書かなくては、時間をおかずに次の作品を書かなくてはと思うようになってしまいました。

自分の中に少しずつ、滴がたまって池を作っています。

見つかる限りの本を読んで、資料を集めて、そして、秋頃から書き始めようと、決めています。

2011年7月28日 (木)

小学生向けのブックトーク

地元の図書館情報です。

山口市立中央図書館で、夏休みの特別企画として、小学生向けのブックトークが計画されています。あさって、7月30日の開催で、詳しいことは図書館のホームページに掲載されています。(とくにこのページです

おはなし会は見たことがあるのですが、ブックトークは未知の世界です。どんなふうに行われるのか見学してみたい気がしていますが、当日は私も自分の仕事があるので、顔を出すことはできそうにありません。

紙しばいの上演は絵本の読み聞かせより難しく、ブックトークはもっと難しいもののようですが、私は絵本の読み聞かせもやったことがありません。何十年も児童文学の世界に首を突っ込んでいて、しかも20年くらいはアマチュアとして演劇(児童劇を含む)の世界に首を突っ込んでいたにしては、寂しい状況です。一度でいいから、子どもたちの前に立って(座って?)絵本なり紙しばいなりを見せたいと望んでいるのですが、素人にはかなわない夢のようです。中途半端に演劇などを囓っているのは、読み聞かせにはかえって良くないようですね。

それはともかく、あさってのブックトークは図書館が同居している山口情報芸術センターの多目的室が会場となっていますので、市内の小学生(+保護者でも)の方で興味がある方は、夏休み中のイベントの一つとして、足を運ばれてはいかがでしょう。

2011年7月24日 (日)

アナログ放送終了

今日の正午、テレビの前に陣取って、アナログ放送終了の瞬間を見ておりました。たぶん、全国的に私と同じようなことを考えた人があったでしょうから、今日のその時間はアナログ放送の視聴率が跳ね上がっていただろうと思います。

私の勤務体系では土曜と日曜が休みだったり、出勤だったりするのですが、たまたま今週の日曜日は休みの番なので、その瞬間をみてやろうと数日前から目論んでいました。

見ていたのはNHKです。天気予報が始まる前はテレビを振り返るような番組をやっていましたが、通常通りの天気予報をやって、最後にようやく目障りだった「アナログ終了」の告知が消えて、正午になったとたん青いお知らせ画面に変わりました。とてもあっさりしたものでした。

民法にチャンネルを変えてみましたが、それぞれ少しずつ違うものの、すべて同じような青い画面が出ていました。これを12時間も延々と出しておくわけです。たぶん、今も出ているのでしょう。

そして、今夜0時に画面は砂嵐に変わるそうです。そこまでつきあって見る気はありませんが。

ところで、今回のニュースにより、自分がテレビ放送が始まってから10年も経たないうちに生まれたのだと言うことに気づき、愕然としました。今や、携帯電話でもテレビを見る時代だというのに。なんて昔に生まれたんだろう!

2011年7月19日 (火)

休日が世間と違う、ということ。

世間の3連休が終わって、私は今日が休みです。世の中の動きとずれていると、いいこともあり、悪いこともあります。

メリットは、平日に銀行や病院などに行ける。土日祝に開いているような施設に行くにしても、平日なら空いている。土日の通勤の時も道が空いている。

デメリットは土日祝に合わせた世間の動き(バーゲンなど)に応じられない。ニュースで「今日から3連休ですね」などと言うと気に障る(最近は「3連休の方も多いでしょう」に変わってきた)、やっと休みになって寝坊していると朝早くから人が来たり、電話がかかったりする。

私の場合は関係ないですが、夫婦で働いていたり、子どもがいたりすると、365日すべてがウィークデイで、ゆっくり休める日が全くないということになります。家族で出かける機会も持てません。

今年は節電のために平日に休んで土日を稼働日にする工場があることから、従業員は子どもを預けるところがないという問題をニュースで報道していました。けれども、これまでにも土日祝日に働く環境だった人は世の中にたくさんいたわけです。(スーパー、美容院、テレビ局、美術館・博物館、葬儀屋・火葬場、ホテル・旅館、交通機関、老人ホーム、入院施設のある病院etc.)。

もしも、これに応じて保育園を土日にも開こうという話になったら、今度は保育士さんが自分の子どもを預ける場所を探すことに……。

そういえば「今日から3連休ですね」と言うアナウンサーも、撮っているカメラマンも、音声さんも、みんな休日に働いているのですね。ご苦労様です。 

2011年7月16日 (土)

図書館のティーンズコーナー

私のメイン・ライブラリーである山口市立中央図書館とサブ・ライブラリーの県立山口図書館には、どちらも「ティーンズコーナー」という一角があります。

まだ市立図書館が開館していなかった頃、県立図書館の児童室(「子ども資料室」)の外側にティーンズ向けの読み物をそろえた棚が並んだのを見て、おもしろいコーナーができたと喜んだものでした。

それまでは児童書を借りたいと思っても、午後5時に児童室が閉まるため、仕事帰りに立ち寄ることができませんでした。ティーンズコーナーは部屋の外にあるので、閉館まで利用できます。高学年向きの長編などはここで手にすることができて、ほんとうにありがたいコーナーでした。

その後に開館した市立図書館では、子どもコーナーもティーンズコーナーも開かれたフロアーにありました。子どもコーナーの隣にティーンズコーナーがあって、絵本、読み物、知識の本、子ども用の参考資料、それからティーンズの読み物、と自然に導かれていくようでした。開館しているときなら、いつでも借りることができます。

県立図書館のティーンズコーナーは読み物主体ですが、市立中央図書館は調べ物や知識の本が一般書と同じように大きな割合を占めていて、読み物はその中の主な一分野であると感じられます。青少年に向かって書かれた社会科学、自然科学、芸術、芸能情報などの本は、県立図書館よりもたくさん並んでいるようです。

市立図書館のティーンズコーナーで特徴的なのは、進路選択に関する本が一箇所に集められていることです。内容で判断すればいろいろな分類番号に分かれて並べられるような本が、あえて統一した番号を与えられ、同じ青い丸いシールを背表紙に貼られて置かれています。たとえば『弁護士になりたい』という本と『俳優になりたい』という本だったら(実在の本のタイトルではありませんが)、法律の分野と芸能の分野に分かれてしまうところを、進路選択の本として、並ぶようにラベルをつけているのです。職業選択だけでなく、大学や大検、専門学校、大学院、留学などの情報もあります。

それぞれ選書されている本が違うので(当然、どちらの図書館にも選ばれる本は非常に多いですが)、利用者としては便利に使い分けています。

2011年7月12日 (火)

『合言葉はフリンドル!』の読後感

アンドリュー・クレメンツの作品『合言葉はフリンドル! 』を、たいへん遅ればせながら読みました。原著は1996年、日本での翻訳は1999年に出ています。

雑誌で紹介されているのを見て興味を感じた記憶があるのですが、地元の県立山口図書館にはこの本が入っていませんでした。

その後、2003年になって開館した山口市立図書館(現在の山口市立中央図書館)に蔵書として入っているのを見て、何度か目を留めはしたのですが、そのまま手に取らずにすませてしまいました。好奇心はもったけれども、それほど期待していたわけではなかったのです。

今は、もっと早く読めばよかったと後悔しています。ストーリーの紹介だけ読んだら、ただの思いつきでしかないような設定が、作品として完成されたものを見ると、終わりまで興味津々で読まされ、結末では胸がじーんとするような佳作となっていました。

話がうまくできすぎている、登場人物がいい人ばかりじゃないか……といった指摘をすることはできるでしょう。でも、この作品はそういう持ち味の作品なのです。うまくいきすぎ、いい人ばかりでも、それが鼻につかない書き方をされています。対象読者が小学校の高学年からということもありますし。

ニックのような子どもの個性をまっすぐに伸ばすことができたなら、いろんな意味で、社会はとても豊かになるだろうと思います。

こんなささやかなネタで、これだけの深い作品を描く作者というのはどんな人なのか、非常に興味を感じています。まだ他にも何冊もの作品が翻訳されているので、図書館で読破したいと思います。

残念ながら今は絶版・品切れ状態になっているようです。復刊リクエストがされていました。是非、復刊してほしい作品です。

2011年7月10日 (日)

GalaxyS2の体験イベント

プリンタのインクが足りなくなったので、家電量販店に買いに行きました。すると、NTTドコモのコーナーで、GalaxyS2をはじめとするスマートフォンの体験イベントをやっていました。

声をかけられて、何の機種とも分からないままに触らせてもらったのが、前から気になっていたGalaxyS2でした。画面が広いのに軽くて、これなら持ち歩いても全然苦にならない重さだと、今のAdvanced/W-ZERO3 [es]と引き比べて思ってしまいます。それは4年も経っているのだから、比べる方が酷でしょう。

小さい文字が読めるかどうか気になっていたのですが、今くらいの老眼のなりかけ(近視の眼鏡をかけて近くの小さい文字を読むのは鬱陶しいけれど、裸眼なら老眼鏡無しでも日常生活は平気)だったら、全然問題ありませんでした。

私の場合は、携帯電話としてよりも、持ち運べる小さなパソコンとしてのモバイル機器がほしいわけで、それに電話機能が付いていれば別に電話を用意しなくてもすむ、というくらいの意識です。スマートフォンの使い手としてはうってつけの人間だと思うのですが……。

料金体系を見たとき、ふと我に返って、毎月こんな料金を払うのか、と尻込みしてしまいます。ウィルコムの料金はたしかに安いです。とくにスマートフォンを使おうと思えばその差は歴然としています。

電話としてはこのままPHSを使いつづけて、日本通信の回線でタブレット端末でも持った方がいいかな、などとなまじ調べているだけに、思い乱れています。

2011年7月 9日 (土)

読書のつまみ食い

今、大きく分けて3種類の本を併行して読んでいます。

1,児童文学

2,幕末の歴史

3,SNSや通信機器についての情報(雑誌を含む)

頭の中がごちゃごちゃになるかというと、そうはなりません。全く違う分野・内容の本だったら、10冊くらいは同時に読みかけにできます。

異世界ファンタジーを2つ同時に読んだりすると、どっちの世界のことだったか混乱するし、学園ものを2ついっしょに読んでいると、頭の中で話が絡み合ってしまいます。

それでも、幼年向きの詩的なファンタジーと高学年向きの世界観を語るようなファンタジーなら読書の同時進行が可能です。調べ物なら何冊いっしょでも平気です。

そんな読み方をしているので、図書館で同時に10冊も借りています。

4番目に「その他」というジャンルもあって、数学だの、天文だの、漫画だの時代小説だのを手当たり次第に読んでいるところです。

この雑食がいつかは一つの実を結んでくれるといいのですが。

2011年7月 7日 (木)

日記に書いた天気

ずいぶん前のことなので、その本の題名も覚えていないのですが、日本の公家の日記が当時の地球の気象を研究する上で貴重な情報源になっているという話を読んだことがあります。

雪が降った、雪がたくさん降った、晴れた、曇った……こんな単純な記録の積み重ねでも、長年にわたって細かく書き続けられていくと、りっぱにデータベースとして使えるわけです。とりわけ日本人は天候を気にする民族で、公家というのは筆まめな人たちですから。

21世紀の個人のブログも、積み重なれば後世の人たちからデータベースとして注目されるかもしれません。江戸時代の庶民の手紙や家計簿でも、今では貴重な古文書ですから。

今日の天気は、午前中、豪雨。午後から天気は回復し、夜は曇り。ただし、星は見えない。牽牛織女の今年のデートは、山口上空ではかなわず。きっと、どこか晴れた地方に移動して、楽しい時を過ごしているでしょう。

2011年7月 5日 (火)

『片腕のキャッチ』読了

先日、M・J・アウク著『片腕のキャッチ』を読みました。

作者の夫の体験をもとにして描かれた、実話というわけではないけれども、実話に基づいた作品のようです。

初めの数ページで、読むのをやめようかと思いました。読み続けるのが苦しくて。けれども、そのまま読んでいくうちに、読むのが止まらなくなっていきました。

野球選手になりたい、という子ども時代の夢は、多くの少年がやがて才能の限界を悟ってあきらめることになります。けれどもノームは全く違う形で、限界をつきつけられました。

ハンディを克服するためにノームが試みたこと一つ一つが、作者の夫の実体験に裏付けられていて、説得力があります。

(親友のレオンがよかったです。)

片腕のキャッチ 片腕のキャッチ

著者:M.J. アウク
販売元:フレーベル館
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2011年7月 4日 (月)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(3)

(承前) 児童向けの平家物語についての続きです。 

おそらく子ども向けに「平家物語」を用意した大人たちは、「正しい者は必ず勝つのだ」と子どもには教えなくてはならない、だから「勝った者は正しかったということにすべきだ」と、奇妙な教育的配慮をしたのでしょう。

そんな子ども向け「平家」に反感を抱きながら、私はなぜか平重盛が好きでした。清盛と対照的に心正しい人として持ち上げられている退屈なはずの登場人物なのに、父と後白河法皇の間に立って悩む矛盾に満ちた存在であることに惹かれていました。どこまでも素直でない好みの子どもでした。

吉川英治の『新・平家物語』は成人してから文庫本で買いそろえ、改めて読んでみました。意外に雑なところ(前後で矛盾する設定=例えば、頼朝の母の素姓が遊女と言われたり、史実通りに熱田神宮の宮司の娘になっていたり)が見つかり、後半は冗長なところ(例えば、木曽義仲をめぐる女性たちの逸話が長すぎ)が多くて、あまりおもしろいと思えなくなっていました。それでも、この作品が小学生の私に与えた影響は、非常に大きいものがありました。

最後に、『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』に出会えたことを、著者に感謝したいと思います。文中で何度か繰り返されていた「歴史を逆なでする」や「出会い損ね」などの表現には、大いに刺激されるところがありました。

この本を読んだことによって、書きたいことがこれだけ噴き出してきたということは、平家物語が私にとっていかにこだわりの強い存在であったか、今さらながらに思い至ります。

(終わり)

2011年7月 3日 (日)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(2)

(承前) 樋口大祐・著『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』(歴史文化ライブラリー)を読んだことで思い起こされた平家へのこだわりをもう少し語ります。

学校の図書室で借りたり、親に買ってもらったりして、当時、私は手の届く限りの児童向け源平物語を読んでいました。

子ども向けに書かれた源平物語(平家物語、保元物語、平治物語、源平盛衰記など)では、源氏=正義、平家=悪の図式を貫いて、頼朝・源氏サイドの残虐な行為にはほとんど触れていません。

「平家物語」の児童向けも、少なくとも2種類以上の再話を読みましたが、何冊目かに読んだ「平家物語」では、重盛の孫の六代が12歳で殺されかけ、成長してから改めて殺されたところまで書いてありました。

頼朝が14歳で殺されそうになり、後に挙兵して命を危険にさらしたのに少し似ています。しかし、文中では「12歳で死ぬはずだったのだから、ここまで命があって運がよかった」という書き方がしてあり、読みながら腹立たしくて「それは頼朝に言ってやれ!」と思ったものでした。

そんなとき、小学4年生の正月にNHKで大河ドラマ『新・平家物語』が始まりました(~小学5年の12月)。

私は驚喜して、熱心な視聴者になりました。吉川英治はほぼ平清盛の視点から当時のできごとを見ており、お子さま向け平家物語への不満を、みごとにはらしてくれました。日曜日の放送に加えて、可能なときには土曜日の再放送も見て、ついには友達のお父さんが所蔵していた吉川英治全集の『新・平家物語』を借りて読みました。(『新・平家物語』については、『変貌する清盛』でも触れられています)。

そんな一連の時間の流れのいつだったか、はっきりとは覚えていませんが、いろいろな本を熟読するうちに、ふと思い至ったことがありました。

「平家物語は壇之浦の合戦で平家が滅びたところまで書いてある。ということは、平家物語は源氏の世の中になってから作られたんだ!」。(今さら気づいたか、と思われそうですが、本人はすこぶる真剣です)。「だから、平家物語には権力者である源氏に都合の悪いことは書いてなかったんだ」

「歴史は勝った者に都合よく書かれる」

それが、小学校高学年の歴史好き文学少女が獲得した歴史観でした。この結論に辿り着いたことに、私はとても満足しました。以来、「外伝」や「異聞」や「秘かな伝承」にこだわる人間になったようです。

もう少しだけ、このテーマで書いて締めくくります。

(つづく)

2011年7月 2日 (土)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(1)

吉川弘文館から三月に刊行された樋口大祐・著『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』(歴史文化ライブラリー)を読了しました。

おおざっぱに言うと、プロローグ(児童書に描かれた清盛)、本文(史料と文学に描かれた清盛)、エピローグ(清盛が寄与した港町、神戸の後世の人々)の3つに分かれています。もちろん、内容も分量も本文の各章が中心になります。

個人的にとりわけ興味深く読んだのは、プロローグの「子どもたちの清盛」でした。ここで紹介された戦後の児童向け源平物語は、まさに私が小学校の図書室で借りて読んだ本、そのものでした。実際に、登場人物紹介や目次(「舞姫」で始まる)など、「ああ、覚えている、あの本だ」と思いあたる部分がありました。

私は素直でない感性の小学生でしたから、小学4年生の頃から大の平家びいきでした。(これは平家滅亡の地となった下関市で生まれたことにも関係があります)。学校の図書室にあった児童向け源平物語はあらかた読み尽くしましたが、どれもこれも必死になって源氏に依怙贔屓をしており、何が何でも平家を貶めようとする文章に憤りを感じていました。

いったい清盛がどんな悪いことをしたというのか、平家に比べて源氏のどこが正しいのか、事実を見る限りさっぱり理解できませんでした。筆者が「(清盛は)にくにくしげに言った」(これは偕成社の『源頼朝』の伝記の記述)というような形容詞をくっつけて書いているだけで、「にくにくしげに」しゃべるのが悪行とは言えません。熱病で悶死したというのを悪事の報いのように書くのは、病気になることを悪事の報いだと言っているようで、納得できませんでした(私はあまり頑健ではない子どもでしたから)。

子ども向け平家物語にも、鹿ヶ谷の陰謀が発覚したとき、西光法師が「先祖のことはいざ知らず、若いころは身分が低くて笑いものにされていた」とののしる場面がありましたが、天皇であった先祖のことを都合よく「いざ知らず」にしておいて、若いころの身分の低さや貧しさを笑いものにするというのは、どう考えても卑怯だと思えました。

そもそも、清盛は平治の乱の時、幼い牛若たちだけでなく、戦闘員として戦場に出て戦ったティーンエイジャーの頼朝までも命を助けてやっていますが、壇之浦の合戦で勝利を収めた頼朝は、平家の幼児を容赦なく殺しまくっています(この事実は子ども向けの平家物語ではあまり触れていませんが)。

下の身分からのし上がったのが悪いというのなら、どうして豊臣秀吉が庶民の英雄のように誉めたたえられるのか分かりません。異国に侵略した秀吉よりも異国と貿易した清盛の方が立派だと思うのに、なぜか秀吉が嫌いだというと農民の敵、民主主義の敵(どこが!)みたいに勘ぐられ、清盛の方は武士のくせに(幕府を開くという発想を持たずに)太政大臣などになった時代遅れの感覚の持ち主のように語られるという、腹立たしい評価ばかり目にし、耳にしました。

『変貌する清盛』の著者は私より少し若い方なので、子ども時代の私がこの本を読むことはあり得ませんが、同じような論旨の本を読んでいたら、きっと大いに喜んだことだろうと思います。

児童向けの平家物語にまつわる話はまだ語り足りないので、つづきは日を改めて書きます。

変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる (歴史文化ライブラリー) 変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる (歴史文化ライブラリー)

著者:樋口 大祐
販売元:吉川弘文館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

(つづく)

2011年7月 1日 (金)

VAIO-Xとの伴走日記(5)

ここしばらくVAIO-Xの調子がおかしかったのですが、とうとうインターネットができなくなったので、リカバリに踏み切りました。(先日の、簡単に復帰したと書いた記事よりも、少しあとのことです)

10年前にWindows98のリカバリを初めてやったときには、私自身の知識も今より乏しかったのに、作業は難解で、四苦八苦しながらやり遂げました。1回、リカバリを経験したことで、飛躍的にパソコンの知識が増えたような錯覚を起こしそうでした。ふだんとは全く違う画面が見え、パソコンの裏側を初めて知ったような気がしました。

今回はあっけにとられるほど簡単でした。必要になるのだろうと思ってリカバリディスクもよういしていたのに、それを使うこともなく、ほとんどパソコンが勝手にやってくれました。

無線の接続とセキュリティの設定だけすませると、あとはまた後日、と思いつつ一休み。それ以後、まだ一太郎も入れていません。

でも、デスクトップの壁紙はやりかえました。何かするごとに新しいことに気づいて、世界に一つだけの私のパソコンに育てています。

昔のPCでリカバリといえば、赤ん坊になって生まれ変わる(比喩)しかなかったけれども、今は知識や経験を持ったまま若返る(比喩)ことも可能になったようになったようです。人間もあやかりたいものです。

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