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2012年7月の記事

2012年7月24日 (火)

取材するということ

最近読んだ本で、「取材」ということにおいて非常に感心した本が2冊ありました。1冊目は中村武生著『池田屋事件の研究 (講談社現代新書)』、もう一冊は佐野眞一著『あんぽん 孫正義伝』。

『池田屋事件の研究』は、現存者はいないけれども、証言や文献は比較的残っている幕末の時代を採り上げ、これまで軽く見過ごされてきた古高俊太郎について徹底的に検証している、新書には珍しい本格的な研究です。引用されている当時の文書や手紙を、現代風に意訳して紹介しているところは、一般読者が対象となる新書であることを配慮した編集なのでしょう。歴史小説のような訳にはいきませんが、幕末の歴史に興味のある人なら、気合いを入れて読みはじめれば、きっと読み応えがあるだろうと思います。

『あんぽん』の方は、本人はまだまだ現役だけれども、親や祖父母の世代までも調べ尽くすというこの著者の方法からすれば、実際を知る人からの証言を引き出すことのできるぎりぎりの時間を走り回って、日韓の関係者から取材して一つ一つの事実を積み重ねた労作です。伝記の対象を無条件に尊敬したり持ち上げたりするのではなく、場合によって否定も肯定もしながら、孫正義という希有な人物を分厚く描いています。著者自ら『スティーブ・ジョブズ』とくらべていますが、事実を突き詰めていく姿勢からすると、『あんぽん』の方に凄みがあると感じました。

  

2012年7月17日 (火)

galaxy noteのケース

今更ですが、4月に出たdocomoのスマートフォンgalaxy noteを6月に買いました。本体を買ったと言うよりは、docomoと契約をしたという方が大きな事件です。電話はウィルコムの通話専用機があるので、データ通信専用の契約にしました。これでやっと出先で調べ物ができます。

保護シールを貼ってもらったり、microSDカードを入れてもらったりと、店頭で買ったら至れり尽くせり。通販でバッテリーを入れるところから始めるのとはえらい違いです。ケースはまた改めてということで、買わずに帰って来ました。

その昔、ウィルコムの初代スマートフォンW-ZERO3が出たとき、あんな大きな画面で電話をかけるなんてみっともなくて恥ずかしい、とさんざんな言われようでしたが、今やもっと大きな画面を顔に当てて通話するのが当たり前の時代になりました。初代W-ZERO3は220gで、galaxy noteよりいささか重かったけれども、それは厚みなどのせいで、画面の大きさは3.7インチでした。

ふと思い立って、その初代W-ZERO3の付属のケースに、買ってきたgalaxy noteを入れてみました。厚さが違うとはいえ3.7インチと5.3インチですから、ちょっと無理だろうと思いながら、突っ込んでみると……すんなり入りました。

横幅は問題なし。ただ、縦は長すぎて頭が収まり切りません。

Op

こういう用途のために作られた物ですから、液晶の画面を保護するように堅い板状の物が添えてあったり、直接接する面は滑らかだったりと、品が古いことはさておいて、なかなかよくできたお誂え向きのケースです。

ちょっと引っ張って蓋を閉じると、ぎりぎり、かろうじて留まりました。

Sh

とりあえず本体を傷めないために、このケースに入れておくことにしました。そのうち新しいケースを買うにしても、当面これでいいのでは?……と思い始めています。

6月の終わりにgalaxyS3が出て、noteはもはや最新ではなくなってしまいましたが5.3インチの画面を持ち歩くことができるのだから大満足です。

2012年7月10日 (火)

萩藩大坂蔵屋敷跡を訪ねて(3)

(しめくくり)

この話題も、日にちが過ぎて間延びしてきたので、今回で最後にします。

発見した蔵屋敷跡を示す石碑は、交差点のそばの舗道の一角を切り取った区画の木々の間にありました。さらに、交差点を渡ってもう少し向こうに歩いて行くと、薩摩藩の蔵屋敷跡を示す碑もありました。脚の鈍った現代人でも軽々と歩いて行ける距離です。

思いがけず時間をとったので、もう夕方の懇親会が始まるころでした。最後に川や橋の周りの写真を撮って、その後も何度か迷子になりながら、ようやく会場のエル・大阪に辿り着きました。(エル・大阪の建物の中でも迷ったので、さらに遅れてしまいました)

さて、一泊してその翌日。歴史博物館にでも行こうかと思っていたのですが、もう一度、蔵屋敷の通りに行ってみることにしました。

今度は地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅で降りました。すると、川のそばに蔵屋敷が立ち並ぶ区域であることを示す立て札がたっています。ここが起点だったのかと思いきや、蔵屋敷跡まではかなりありました。やはり、前日のように肥後橋駅で降りるのが正解だったようです。

観光地には全然行っていないので、傍目には何をしに行ったのか分からないように見えるでしょうが、本人は納得の旅でした。あとはこの体験に蓋を被せて、熟成するのを待つのみ。

Sekihifront

間近で見た萩藩大坂蔵屋敷跡の石碑です。

(この件、終わり)

2012年7月 3日 (火)

萩藩大坂蔵屋敷跡を訪ねて(2)

(つづき)

「これがあるところに行きたいんですけど」と言いながら、プリントした蔵屋敷跡の写真を見せました。

すると、「こういうのはよく見かけるけど、どこにあるかというと……ちょっと分からない……このあたりではよく見るのだけれど」と地元の人らしい返事。常安橋のそばに萩藩蔵屋敷を示した古地図も見てもらいましたが、かえって混乱させてしまったようでした。

「このあたりは昔大名の蔵屋敷が並んでいたところで、こういうのがたくさんあるから」

そう言いながら、おばさんは行こうとしていた方向とは別の方に歩きだしました。年配の人にわざわざ何メートルも歩いてもらっては申し訳なく恐縮しましたが、おばさんは大通りの方まで行き、「この通りを向こうに行くとどこかにあるはず」と示してくれました。

そこはすでに何度も歩いたところで、何度も見つけ損なっていたところでした。が、とにかくそこを探していけばいいのだとわかると、元気が出ました。大阪のおばさんは親切でした。

さっきまではせかせかと歩き続けたので、今度はゆっくりと歩いて行くことにしました。見つけ損なったのは速く歩きすぎたせいではないかと思ったのです。

そして歩き続けた結果、常安橋からまっすぐに伸びている道と今来た道の交差点に、それを見つけました。

Sekihi350

(つづく)

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