歴史・哲学・教養

2011年12月10日 (土)

『防長回天史』を買いました!

幕末の歴史に興味のある人なら知っているはずの末松謙澄の『防長回天史』。マツノ書店からたまに復刻されていますが、2年前に出たばかりなので、まだ当分は次の復刻はないものと思われます。

1年前から幕末の歴史に頭を突っ込むようになった私は、図書館で借りたり閲覧したりしてすませようとしていましたが、とうとう思い立って古書店から全13巻(20年前の復刻版)を購入しました。

今日、段ボール箱で届いたのですが、じつに手厚く(「厳重に」と言うよりも「手厚く」)梱包してあり、さすがに古書店だと感激しました。

「防長」というのは周防と長門のことで、つまり今の山口県。「回天」とは世の中を大きく動かすことで、なんとも手前味噌な題名です。しかし、主観的なのは題名だけで、本文は極めて客観的、偏りの少ない歴史書になっています。

偏りの「少ない」という言い方をしたのは、毛利家の資料を使って毛利家の事業として編纂された幕末・維新史である以上、全く偏りがないと言うことは考えられないからです。

しかし、この歴史書の編纂を中心になって行ったのは、幕末に長州の敵側であった小倉出身の末松謙澄で、その外のメンバーも他藩出身者が多くを占めていました。あんまり公平に書きすぎて事業が頓挫し、毛利家のもとを離れて末松謙澄が自力で仕上げたという曰く付きです。

これまでに第一巻は図書館の本で読み上げ、それ以後も拾い読みをしていましたが、これでは到底読み切れないと悟って、蔵書に加えることにしました。本棚の飾り物にする気はないので、お正月に根性を入れて読破します。

2011年8月 7日 (日)

幕末の些末事

江戸時代の日本は連邦国家のようなもので、藩ごとに法もしきたりも違い、事実関係を確認するのがなかなか大変です。政治の動きのようなことは本を見ればすぐわかりますが、日常生活のささいなことは、何を見たらいいのか途方に暮れることがあります。

武士の世界の下層身分にあった足軽や中間と、農民の世界のエリートであった庄屋が出会ったら、どういう口の利き方をし、どういう作法で対応したのでしょうか。

萩藩では、中国地方の八箇国を治めていた時代から毛利氏に仕えていた足軽や中間は別格扱いで、袴を着けて藩主にお目見えも可能であったと書いた本がありました。とは言いながら、藩に文書を差し出すとき、庄屋は苗字を許されるけれども、足軽は自分から苗字をつけて名のることは許されても、藩からの返事には苗字を附けてもらえない、という扱いだったそうです。(一夜漬けの知識なので、間違っていたら、専門性のある親切な方、どうかご指摘ください)

歴史好きと名のる人の多くは、司馬遼太郎などの小説を読んで、歴史上の事実を論じているようなので、司馬遼太郎が間違えたら(というより、創作や想像を挟んだら)、日本国民がそろって日本史を捉え損ねることになりかねません。古文書を読めるほどの甲斐性はないので、たしかな活字の資料に飢えています。

石高のわずかな下級武士はサラリーだけでは絶対に生きていけないはずで、何か副業を持っていたと思われます。一般論としては、こんな副業があった、あんなこともあったと歴史の教養書などには書いてありますが、萩藩領内の特定の土地でどうだったのか、この人の場合はどうか……という具体的な疑問にこたえてくれる資料は見つかりません。

長州藩の幕末の歴史、それも倒幕の志士の活躍ではなく、村々の寺子屋の様子だの、村役人の仕事ぶりだの、そういった些細なことについて教えてもらえるような方はいらっしゃらないものでしょうか。

2011年7月 4日 (月)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(3)

(承前) 児童向けの平家物語についての続きです。 

おそらく子ども向けに「平家物語」を用意した大人たちは、「正しい者は必ず勝つのだ」と子どもには教えなくてはならない、だから「勝った者は正しかったということにすべきだ」と、奇妙な教育的配慮をしたのでしょう。

そんな子ども向け「平家」に反感を抱きながら、私はなぜか平重盛が好きでした。清盛と対照的に心正しい人として持ち上げられている退屈なはずの登場人物なのに、父と後白河法皇の間に立って悩む矛盾に満ちた存在であることに惹かれていました。どこまでも素直でない好みの子どもでした。

吉川英治の『新・平家物語』は成人してから文庫本で買いそろえ、改めて読んでみました。意外に雑なところ(前後で矛盾する設定=例えば、頼朝の母の素姓が遊女と言われたり、史実通りに熱田神宮の宮司の娘になっていたり)が見つかり、後半は冗長なところ(例えば、木曽義仲をめぐる女性たちの逸話が長すぎ)が多くて、あまりおもしろいと思えなくなっていました。それでも、この作品が小学生の私に与えた影響は、非常に大きいものがありました。

最後に、『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』に出会えたことを、著者に感謝したいと思います。文中で何度か繰り返されていた「歴史を逆なでする」や「出会い損ね」などの表現には、大いに刺激されるところがありました。

この本を読んだことによって、書きたいことがこれだけ噴き出してきたということは、平家物語が私にとっていかにこだわりの強い存在であったか、今さらながらに思い至ります。

(終わり)

2011年7月 3日 (日)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(2)

(承前) 樋口大祐・著『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』(歴史文化ライブラリー)を読んだことで思い起こされた平家へのこだわりをもう少し語ります。

学校の図書室で借りたり、親に買ってもらったりして、当時、私は手の届く限りの児童向け源平物語を読んでいました。

子ども向けに書かれた源平物語(平家物語、保元物語、平治物語、源平盛衰記など)では、源氏=正義、平家=悪の図式を貫いて、頼朝・源氏サイドの残虐な行為にはほとんど触れていません。

「平家物語」の児童向けも、少なくとも2種類以上の再話を読みましたが、何冊目かに読んだ「平家物語」では、重盛の孫の六代が12歳で殺されかけ、成長してから改めて殺されたところまで書いてありました。

頼朝が14歳で殺されそうになり、後に挙兵して命を危険にさらしたのに少し似ています。しかし、文中では「12歳で死ぬはずだったのだから、ここまで命があって運がよかった」という書き方がしてあり、読みながら腹立たしくて「それは頼朝に言ってやれ!」と思ったものでした。

そんなとき、小学4年生の正月にNHKで大河ドラマ『新・平家物語』が始まりました(~小学5年の12月)。

私は驚喜して、熱心な視聴者になりました。吉川英治はほぼ平清盛の視点から当時のできごとを見ており、お子さま向け平家物語への不満を、みごとにはらしてくれました。日曜日の放送に加えて、可能なときには土曜日の再放送も見て、ついには友達のお父さんが所蔵していた吉川英治全集の『新・平家物語』を借りて読みました。(『新・平家物語』については、『変貌する清盛』でも触れられています)。

そんな一連の時間の流れのいつだったか、はっきりとは覚えていませんが、いろいろな本を熟読するうちに、ふと思い至ったことがありました。

「平家物語は壇之浦の合戦で平家が滅びたところまで書いてある。ということは、平家物語は源氏の世の中になってから作られたんだ!」。(今さら気づいたか、と思われそうですが、本人はすこぶる真剣です)。「だから、平家物語には権力者である源氏に都合の悪いことは書いてなかったんだ」

「歴史は勝った者に都合よく書かれる」

それが、小学校高学年の歴史好き文学少女が獲得した歴史観でした。この結論に辿り着いたことに、私はとても満足しました。以来、「外伝」や「異聞」や「秘かな伝承」にこだわる人間になったようです。

もう少しだけ、このテーマで書いて締めくくります。

(つづく)

2011年7月 2日 (土)

樋口大祐『変貌する清盛』への共感(1)

吉川弘文館から三月に刊行された樋口大祐・著『変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる 』(歴史文化ライブラリー)を読了しました。

おおざっぱに言うと、プロローグ(児童書に描かれた清盛)、本文(史料と文学に描かれた清盛)、エピローグ(清盛が寄与した港町、神戸の後世の人々)の3つに分かれています。もちろん、内容も分量も本文の各章が中心になります。

個人的にとりわけ興味深く読んだのは、プロローグの「子どもたちの清盛」でした。ここで紹介された戦後の児童向け源平物語は、まさに私が小学校の図書室で借りて読んだ本、そのものでした。実際に、登場人物紹介や目次(「舞姫」で始まる)など、「ああ、覚えている、あの本だ」と思いあたる部分がありました。

私は素直でない感性の小学生でしたから、小学4年生の頃から大の平家びいきでした。(これは平家滅亡の地となった下関市で生まれたことにも関係があります)。学校の図書室にあった児童向け源平物語はあらかた読み尽くしましたが、どれもこれも必死になって源氏に依怙贔屓をしており、何が何でも平家を貶めようとする文章に憤りを感じていました。

いったい清盛がどんな悪いことをしたというのか、平家に比べて源氏のどこが正しいのか、事実を見る限りさっぱり理解できませんでした。筆者が「(清盛は)にくにくしげに言った」(これは偕成社の『源頼朝』の伝記の記述)というような形容詞をくっつけて書いているだけで、「にくにくしげに」しゃべるのが悪行とは言えません。熱病で悶死したというのを悪事の報いのように書くのは、病気になることを悪事の報いだと言っているようで、納得できませんでした(私はあまり頑健ではない子どもでしたから)。

子ども向け平家物語にも、鹿ヶ谷の陰謀が発覚したとき、西光法師が「先祖のことはいざ知らず、若いころは身分が低くて笑いものにされていた」とののしる場面がありましたが、天皇であった先祖のことを都合よく「いざ知らず」にしておいて、若いころの身分の低さや貧しさを笑いものにするというのは、どう考えても卑怯だと思えました。

そもそも、清盛は平治の乱の時、幼い牛若たちだけでなく、戦闘員として戦場に出て戦ったティーンエイジャーの頼朝までも命を助けてやっていますが、壇之浦の合戦で勝利を収めた頼朝は、平家の幼児を容赦なく殺しまくっています(この事実は子ども向けの平家物語ではあまり触れていませんが)。

下の身分からのし上がったのが悪いというのなら、どうして豊臣秀吉が庶民の英雄のように誉めたたえられるのか分かりません。異国に侵略した秀吉よりも異国と貿易した清盛の方が立派だと思うのに、なぜか秀吉が嫌いだというと農民の敵、民主主義の敵(どこが!)みたいに勘ぐられ、清盛の方は武士のくせに(幕府を開くという発想を持たずに)太政大臣などになった時代遅れの感覚の持ち主のように語られるという、腹立たしい評価ばかり目にし、耳にしました。

『変貌する清盛』の著者は私より少し若い方なので、子ども時代の私がこの本を読むことはあり得ませんが、同じような論旨の本を読んでいたら、きっと大いに喜んだことだろうと思います。

児童向けの平家物語にまつわる話はまだ語り足りないので、つづきは日を改めて書きます。

変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる (歴史文化ライブラリー) 変貌する清盛―『平家物語』を書きかえる (歴史文化ライブラリー)

著者:樋口 大祐
販売元:吉川弘文館
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(つづく)

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